「介抱」  深夜のニュース番組を見終わり、部屋の電気を消して布団に潜り込んだ藤次郎の 寝入りばなにそれは訪れた。  突然、呼び鈴を押さずに玄関のドアをドンドン叩く音がした。  藤次郎は驚いて飛び起きて、慌てて部屋の電気をつけて玄関に応対に出た…そこ には…  「てっへへへ…」  玄関先で藤次郎が見た物は、雨に濡れて髪型や服装を乱した酒臭い玉珠の姿であ った…  「どっ、どうした?」  「いやぁー、会社の飲み会で終電逃しちゃった。おまけに雨まで降って来ちゃっ てさ、わたしのとこよりこっちが近いから、きちゃった…今晩泊めてね」  玉珠はそう言うと、藤次郎を押しのけて玄関に入ってきた。  「いや…それはいいけど…」  玉珠は、そんな藤次郎の言葉を全く聞いて無く、  「あっ、おふとんみっけ!」  玉珠は、玄関に手をつき、四つんばいになり、そのまま足をすりあわせて靴を脱 ぐと、四つんばいのまま藤次郎の布団に入り込み、  「カッモーン」 と言って、指をなびかせ藤次郎を招く仕草をした。  「こいつ…相当よっぱっらってるな…」  藤次郎は眉をひそめた。  「こらこら…スーツぐらい脱いだらどうだ?」  「脱がせてぇーん」 と玉珠は、スーツの襟を肩まで下げて、艶っぽく言った。この頃になると、藤次郎 と玉珠はお互いのアパートに泊まり込むことがよくあるので、今更恥ずかしがる仲 ではなかった。  藤次郎は呆れながらも、タンスを開けて、普段から玉珠が藤次郎の部屋に置いて いるトレーナーを出して、玉珠に放り投げた。  「うーーん、いけず」  玉珠は、身もだえするように言った。  「…あのな!」 と言いつつも、藤次郎はコップに水をくんで玉珠に差し出す。  「ありがと」  カラカラと、笑いながら玉珠はコップを受け取った。藤次郎は、玉珠の入ってい る布団の枕元にどっかりと座ると、  「さっき、『脱がせてぇーん』って言ったとき、俺が服に手をかけたら、『あれ ー、ご無体なーー』とくらい言うつもりだったろ?」 と、からかい半分に言った。  「あら…それは、着物のとき」 と、真顔で返答する玉珠に対し、  「じゃ、服なら…」  つられて、まじめな顔で聞き返した藤次郎に、  「『酔ったわたしを、手込めにするのね!』って、大声で叫んだ…」 と、嬉々としていった。しかし、藤次郎は、玉珠の言葉を冗談とはとても受け取れ ず、  「馬鹿者っ!冗談じゃすまされねぇぞ!!」 と、思わず大声で、怒鳴ってしまった。  「なによ!!」  突然の藤次郎の言葉に、玉珠は酔った勢いもあって、ムキになってしまった。そ して、  「わたし、帰る!」 と言って、いきなり布団から起きあがると、スタスタと玄関に向かって歩き出した。  「まてよ。送っていくから…」  慌てて、声をかける藤次郎に対し、  「いいわよ!!」  玉珠は、藤次郎の申し出の言葉を遮るように怒鳴ると、そのまま藤次郎の部屋を 飛び出して行った。藤次郎は慌てて追いかけた。雨にうたれながら、藤次郎は暫く 近辺を探し回ったが、玉珠の姿を見失ってしまった…  「…まぁ、子供じゃないし、タクシーでも拾ったのだろう…」 と、自らを納得させ、アパートに戻った…玄関には、玉珠の脱ぎ散らかした靴が転 がっていた…  「あいつ…裸足…」  それに気づいた藤次郎は、再び近辺を探し回ったが、結局、玉珠を見つけられな かった…  …翌日、玉珠のことが気になって一睡もできなかった藤次郎は、朝早く昨日脱い でいった玉珠靴を持ってアパートを出ると、玉珠のアパートに行った。  合い鍵を取り出して玉珠の部屋のドアを開けようとして、  「…あれ?」  はたして、玉珠の部屋のドアの鍵は開いていた…  「あいつは、今の時間はもう会社に行ってるはずだが…」 と、不審に思った藤次郎の脳裏にふと嫌な予感がした。静かにドアを開けると…そ こには、昨日の姿のまま、ずぶ濡れになった玉珠が玄関に倒れていた…  「おっ、おい!」  驚いた藤次郎が玉珠を抱き起こすと、  「うっ…うーーん」 と、玉珠がうめいた。玉珠が生きているのを確認して、藤次郎はホッとした。しか し、体は微かに震えていた。藤次郎が玉珠の額に手を当てると、かなりの熱を感じ た。  「こりゃ、ひどい…」  藤次郎は、なぜか玉珠の部屋を見渡すと、はたと思い立ち、玉珠を背負うと、そ のまま外に出ようとしたが、あまりに玉珠が濡れていたのと、酒臭いのに気づいて、 そのまま、きびすを返して玉珠の部屋に上がり込んだ。  そして、朦朧とした意識の玉珠をなんとか着替えさせ、濡れた髪をタオルで包む と、再び玉珠を背負い、病院に駆け込んだ。  玉珠は、雨に濡れたために、風邪をひいて高熱を出していたが、幸い、肺炎は起 こしていなかった。  病院で意識を取り戻した玉珠は、藤次郎に付き添われてタクシーで帰ったが、熱 のため、藤次郎に抗うことはできずに、藤次郎の命令に黙って従っていた。  藤次郎は、その日は一日泊まり込みで玉珠を看病し、玉珠の熱もある程度下がっ たのを確認し、色々と手配をして、翌朝会社に出社した…  …その日の夕方…  「おーい、お玉ぁ。生きているかぁ?」 と、合い鍵で玉珠の居るアパートの玄関に入るなり、藤次郎は呼びかけた。途端に、 藤次郎の顔めがけて枕が飛んでくる。  「てて…その勢いなら、だいぶよくなったな」 と、玄関で尻餅をつきながら、藤次郎は悪びれずに言った。部屋の奥には、寝間着 姿の玉珠が目をいからせて布団から上半身だけを起こしていた。  「みっともないから、玄関で大声出さないでよ!」  「悪かったね。でも、一時は真剣に心配したんだぞ」  「いったい、誰のせいよ!」  「自業自得だろーが」  「なによ!」  この掛け合いに反して、玉珠の顔はだんだん穏やかになっていた。  「それより、スイカを買ってきたぞ…半分だけど」 と言いながら、藤次郎はスーパーの袋を玉珠の方に持ち上げた。  「わぁ。ありがとう」  玉珠は、手を小さくたたいて喜んだ。  藤次郎は玄関から上がり込むと、そのまま玉珠の枕元にどかどかと歩いていって、 どっかりと胡座をかいて座り込むと、そのまま玉珠の額に手を当てながら、  「熱は?」  「うん…だいぶ下がったわ」  「起きて大丈夫?」  その手を顔づたいに撫で、首筋に移しながら藤次郎は言った。  「大丈夫!」  その間、藤次郎のするがままに顔を差し出して、僅かに微笑んで答える玉珠の顔 色を窺いながら、  「まぁ…俺が居る間は、横になっていなよ」 と言って、手を玉珠から離した。  「うん…」  玉珠は甘えるように返事すると、布団に潜り込んだ。  「…ったく、無茶するから…」  布団に潜り込んだ玉珠の顔をのぞき込むようにして藤次郎は言った。  「…だってぇ」  目から下を布団に隠して、玉珠は申し訳なさそうに答えた。  「いくら喧嘩していても、お玉の一番身近にいるのは俺だけなんだから…まぁ、 いまさら蒸し返してもしようがない。早く治してどっか行こうぜ」  その言葉に、玉珠は布団から顔全体を出して、  「あら…やけに気を遣ってくれているのね」 と、うれしそうに言った。  「…ん。ま、まぁな」 と藤次郎は照れながら答えた。  しばらく、二人は目を合わせたまま沈黙した。甘酸っぱいような妙な空気が二人 の間を漂う。  その沈黙を破ったのは、藤次郎であった。  「…おっと、忘れてた。スイカがあったまっちまう」 と取り繕うように視線をスイカに移して言った藤次郎に対して、  「…そっ、そうね、冷蔵庫に入りきれないから、半分食べよ」  何かを期待していた玉珠はため息をつきながら言った。  「そうだな」 と、そんな玉珠の心を知らずに言って、藤次郎は立ち上がると、スイカの入ったスー パーの袋を持って台所に向かった。  藤次郎が台所で包丁を振るう後ろ姿を見ながら、  「そういえば、以前貰ったその包丁。よく切れるわね」  「ああ…関(岐阜県関市…刃物の産地の一つ)の名工の逸物だ」  「へーぇ、高かったの?」  「いや、和式包丁じゃないから安かったよ。それに和式じゃ、手入れできないだ ろ?」  「あら、包丁研ぐくらいできるわよ」  「…そうなの?」  一瞬、藤次郎の動きが止まった。その時の藤次郎の脳裏には、安達ヶ原の鬼婆の ごとく、包丁を研いでいる玉珠の姿が浮かんでいた…  「うん、実家じゃ今でも和式包丁だから、研いだことあるもの」  「ふぅん。そうなんだ。言ってくれれば、和式包丁のいい物を買ってきたのに…」  「いいよぉ…。一人だとあんまり包丁使わないし、日々の手入れが面倒だし、そ れにこっちじゃ砥石のいいのが手に入りづらいから…」 と、遠慮しながら言う玉珠に対して、  「じゃ、和式包丁が日々活躍する場を与えようか?」 と、藤次郎は振り返っていたずらっぽく言った。  「…それって…」  玉珠は、一寸頬を朱に染めて、藤次郎の続きの言葉を期待していたが、  「この前、料理学校のパンフレットを集めていたろ?その入学祝いに和式包丁を 買ってあげよう…そして、その成果を俺の舌で味わってやる」 と、素っ気なく言った藤次郎の言葉にがっかりした。  「…材料費は払ってね」 と、ため息混じりに冷たく言い返した。  再び、スイカに向かって包丁を振るう藤次郎の後ろ姿に、玉珠は問いかけた。  「そういえば、その包丁貰ったときに、箱に五円玉が入っていたけど…どういう 意味?」  「それは、向こう(海外)では刃物を送るときには、縁が切れないようにコイン を添えるという話を聞いたから」  「それで、五円(ご縁)?」  「そう…お玉との”ご縁”が再び切れないようにって…」  玉珠は、そのシャレに喜び、また吹き出してしまった。  「ほい、おまちどう」 と言って、藤次郎がテーブルに置いた皿に盛られたスイカを見て、  「わぁ」 と喜び、玉珠は布団から這い出して、テーブルに着いた。  二人して黙々とスイカを食べた。  「おいしいね」  「うん。スーパーの店員に『彼女に食べさせるから一番美味いのくれ』って言っ たんだ」  「…まぁ」  玉珠は無邪気に喜んだ。  …そのうち、皿の上のスイカが一切れだけになった頃…  玉珠は今日の度々における藤次郎の思わせぶりの発言に対して、その真意を確か めようと思った。また、先日の喧嘩に対する謝罪もしていなかった…そのことで、 玉珠は意を決して、  「…ねぇ、藤次郎。わ…わたし、そのぅ…さっきから、あなたが…私のコト…す…」 と、玉珠が思い詰めたように言ったが、  「ん?スイカ食うか?」 と、藤次郎が皿に残った最後のスイカの一切れを差し出すと、  「う…ん」 と、素直に肯いてしまう玉珠であった。  がっくりしながら、スイカを食べる玉珠の肩に手を置いて、藤次郎は  「この前は、突然怒鳴って悪かったな…でも、俺は本当にお玉のこと愛してるん だよ」  「…そっ、それって…」  「だから、もうあんなこと言うなよ」  「…うん」 と言って、なぜか泣き出した玉珠に対して、藤次郎はただオロオロするばかりであ った。  …後日、玉珠は、藤次郎が朦朧とした自分を背負って病院に駆け込んだことを知 り、  「…なんで?救急車を呼んだらいいのに…」  「そこまで気が回らなかった…」 と、照れる藤次郎に、また愛情を感じた。 藤次郎正秀